4/26からウズベキスタンに出張に。
今回は2週間、しかもそれなりに仕事がある、出張。
ただし、日本でいくらどんなに調整しようとしても、まったくスケジュールが調整できなかった、という悲劇。
今回は二人で渡航。
4/26
成田の搭乗口で飛行機待っているときに、突然名前を呼び出された。
これは人生初。
何かと思えば、モニタが不良なので、席を替わりますか、という話。
これで、最近は基本的に通路側を希望するんだけど、窓側になった。
そしたら、いつも見てない空からの景色。
やばかった。
富士山。
いつも通りソウル経由、なんとなくいつもより入国も簡単で、タクシー内で両替も済ませ、ホテル着。
相変わらず、ホテルのフロントはかわいい。
到着して、ホテルの高級レストランでラムチョップを食べた。
前回時間がなくて食べられなかった品。
4/27
いつも通りオフィスに行き、客とミーティングをして、移動。
車で3時間だ、という人もいれば、4時間だ、という人も。
まあ5時間くらい、とそこに住んでいたことのある日本人からは聞いていたので、5時間だな、と思っていた。
出発は午後3時。
どういうこっちゃ、と思いつつ。
ガタガタな道をひた走って、5時間半。
ホテルはとっても快適。
フェルガナ、という、盆地の町についた。
イメージ通り、長野的、と第一印象は思ったけど、もしかしたらタシケントよりもきれいで洗練されてんじゃないか、と思った。
4/28,29
現地にて業務。
今回は現地の設備に入って、実際に装置を触る。
予定というか、契約内の業務だけでなく、現地でのトラブルシューティングの対応もさせられるのが常、だそうで。
いろいろと起ったけど、結局うやむやなまま。
スケジュール的にも、この町から戻るのか、どうなのか、とか、いろいろ揉めた。
夜ごはんはEVOSというファーストフード店で2夜連続。
ヤギ肉がたまらない。
そしてホテルのバーでビールがめっちゃ冷たい。
最高。
4/30
結局ひとまずタシケントに戻ることに。
朝早かった割に、なんだかんだと別れを惜しんで緩い出発。
そして途中でいろいろと寄り道。
同行した現地の人のお母さんが入っているという老人養護施設にも。
結構立派で、過ごしやすそうな雰囲気だった。
タシケントに戻ってホテル着。
前回JICAの人に連れて行ってもらったレストランへ同僚を連れて行き、がっつり食べる。
うますぎる。
5/1
客、というか、現地のSIERとミーティング。
と思いきや、いきなり難癖をつけられ、金をせしめられる始末に。
契約条項が甘すぎて、毎回こうやって黒い金が発生している模様。
がんばれよジャパンの会社。
相手の彼はとても大事な人物なので、わがままも仕方ないとのこと。
それから最終顧客とのミーティングに。
そんな彼もそこでは偉い人たちと一人でやりあう。
ロシア語なので俺はよくわからないけど、頑張ってるのは伝わってきた。
3時間くらい。
外国人の会議にありがちな、何度も同じことを繰り返し、答えのない話し合い。
そのあとももろもろ悶着ありながら、終了。
夜は同僚とステーキハウスへ。
ウズベクワインを飲む。
さっくりあけてしまった。
5/2
土曜日。ゆっくりしようかなと。
そういえばこの2週間は日本でいえばゴールデンウイークにあたるわけだけど、何の関係もなく、仕事仕事仕事。
海外出張時、の土日や祝日が仕事になっても代休や残業にはならないという弊社規程ではあるものの、GWのときは代休が取れるそうな。
月末に一週間くらいガッツリ休んでどっかいこうかな。
朝から今回初の試みで、ホテルのジムで走って、プールで泳ぐ。
部屋に帰ってビール。
出張中のサラリーマンぽい行動。
それからしばらくして移動し、日本語弁論大会を見に行った。
中央アジア6か国の人々が集まって、今回はウズベクが会場だとか。
参加者も客も美男美女にあふれていた。
しかもみんな日本語が上手。
さすがに弁論大会にでるだけのことはある。
しかし、表彰は、日本語のスキルよりも、内容が問われるようで、俺が上手だなーと思った人たちはまったく選にのこらなかった。
採点を待つ間はアトラクション。
日本人がウズベク音楽をやったり。ウズベク人がソーラン節やら日本のアイドルソングをやったり。
協力隊っぽい風景。
ナミビアにいたころ、モーニング娘。オタクの隊員がいて。
彼がモー娘のPV全部もってきてたことをきっかけに、じゃあ現地でアイドルユニット作ろうぜ、とか冗談で言ってて。
ワレレポメメ(現地語でおはようマダム)結成しようぜとか言ってたんだけど。
ここにはいました。
ウズベク人が日本語の歌を歌うアイドルユニット。
まあそれはともかくとして。
あいかわらずのソーラン節で盛り上がり。
協力隊のやってることって、20年くらい、発展途上なんだろうな、と思ってしまった。
ワークモデルが出来上がっていて、そこにのってるだけ、という感じがした。
ナミビアでJ-POPとしてEXILEをやっていた人たちがいて、俺は全然興味がなかったものの、非常にいい活動だと思っていた。
日本の姿は、伝統芸能だけではないわけで。
なんとなく、なんとなくだけど、いろいろ考えることがある弁論大会だった。
まあなんというか、すごいかわいい子がいて、その子がなぜか途中から浴衣になってて、その子に夢中だった、というのが結論なのだけど。
ホテルのほうに戻って、前に食べた道端プロフ屋さんでプロフ、シャシリク、ビールをいただき、ナンを買って帰りました。
やっぱり道端が向いてるな、俺。
なんかホームレス系のオッチャンに絡まれたけど、悪くない。
今日はなんもせんかったで、明日はちょっと仕事をしよう。
来週はちょっと真面目に久々しんどいかも。
5月3日~5月7日
今日が何日なのかもよくわからない日々が続いていますが、世間はGW終わったのかな。
日曜日は一日中部屋で仕事していた。
海外にきてて、天気いいのに、部屋に缶詰めで仕事って。。。
悔しいが、仕方ない。
夜はJICA関係の人たちと再会。
2月ぶり。
二人のうち一人は、もう次に俺が渡航してくるころには日本にいるそうな。
大混雑の手羽先やさんに連れて行ってもらった。
先週フェルガナいって、木曜に戻ってきて、またフェルガナに。
首都から片道5時間かかる町に、なぜか1週間ごとに滞在する、というよくわからない日程。
首都に帰る必要あったんかいな、思いながら、まあ首都に行けばそれなりにいろいろあるので、まあ良かったのかな。
前回一緒に行った人がスケジュールあわないみたいで、別の人が同行。
前回の人も、途中から合流し、今回は運転手合わせて5人チーム。
先週は同僚が測定したりOJTしたりするのを横で見てるだけだったのだけど、今週の火曜水曜は自分が座学の講師をやった。
座学って、俺だってまだ始まったばかりの業界で、いまいちよくわかってないのに。
まあけど、それなりになんとかなったかな、と。
それから木曜金曜は、また同僚がOJT的にやるのを見てるだけ。OJTといっても、人がたくさんいるので、カオスカオス。
ちなみに、生徒は20人以上。偉い人やおじいちゃんも。
英語→ロシア語の変換が入るうえに、さらにテクニカルな内容なので、もうめちゃめちゃ。
通訳してくれてるエンジニアは、俺と同じく、こっちの業界は初めてらしくて、けど英語は上手だし、頭もスマート。
とても話しやすくて助かってる。
話を聞いてたら、もともと伝送系のエンジニアで、マスターまでとってて、電話業界の出身だとか。俺と似たキャリアなのが面白い。
日本語→英語→ロシア語と言葉が廻るのだけど、ロシア語がわからない人も何人かいるみたいで、ロシア語→ウズベク語の変換も入るらしい。その場合は別の人がそこに噛む。
ナミビアで数学教えるのもなかなか大変だったけど、この国はもっと大変なのかも。ウズベク語が公用語なのに、公文書はロシア語で書かれていて、このまえ総務省らしき人たちと打ち合わせした時もロシア語だった。
いまのトレーニング業務については、ナミビア時代の経験がめちゃめちゃ役に立ってる。難しいことをイメージでスッキリさせて英語で伝えるのは、それなりに上手になってるんだなぁ、と思う。
特に、同僚の英語が本当にめちゃくちゃな文法で、それを英英通訳するのがなかなかきいてる。
木曜日はholiday forg signal man、という、電波屋の休日だったそうな。
だけど俺らは休みなくトレーニング。
そんなわけで夜はパーティ。
目の前にはショットグラス。
この国は旧ソ連。
イスラムのくせに、ウォッカ。
はじめの乾杯の挨拶だけではなく、いちいち勝手にタイミングみて誰かが立ち上がり、挨拶をする。
その度に、ウォッカをショット。
一杯目からガンガン熱くなる。
ウォッカ飲んだらコーラとお茶でごまかす。
なぜか俺も調子に乗ってロシア語で挨拶。
同僚はウズベク語で挨拶。
なかなか、無茶な。
玉ねぎがでたら、シャシリクの合図らしくて、串肉がでてくる。
ショルパという、牛テールスープも美味かった。
最後はみんながスペースで踊り出して、俺も負けじと踊りだす。
疲れたけど、とても楽しかった。
良いパーティーだったなぁ。
同僚は完全に潰れてて、ホテル戻ったら倒れてた。
俺も、帰ったらばたん。
だったはずなんだけど、なぜか洗濯をした跡があるから、洗濯だけはやったのかなぁ。。。
5/8
とりあえずトレーニング終了。
最終日の金曜は簡単なテスト。
テストっつっても、みんな相談してるし、一応、マニュアルは見ちゃだめだよ、と伝えたのだけど、まあ、当然というか、全員全問正解。
というか、クリアするように作っているので、まあ形式のみ。
けどこの形式のみが重要だったりする途上国事情。
そのあと、オプションで、ちょっとした数学のお勉強。
watt-dBmの換算について、いろいろとレクチャー。
放送業務の座学は、正直いってスライドに書いてあることを理解できてないまましゃべっていたり、質問に対応する自信がまったくなかったり、非常に窮屈なのだけど、数学を教えるのは楽しくて仕方なかった。
自信持っていることを、途上国で広めたい、というのはこの会社に来た理由でもあるのだけど、結局素人知識の放送業務をやってるので、中途半端になってしまっている。
けどまあ、電波業界の知識も少しは役に立っているので、まあいいのかな。
そのあと修了証の交付。
なぜか俺のサインで、俺が交付役。
先輩と一緒に来てるのに、先輩はなぜか俺を前に前に出そうとする。
肩書き的には俺のほうが上なので、そのせいにしているというか、イチイチ面倒なのだが、悪気はなさそうなのでまあ仕方ない。
修了証はなぜか州の代表の、支店長的な人なのかな。
その人から俺に手渡され、各研修生に手渡された。
一人一人と、ツーショット撮影。
恥ずかしいけど、恒例行事なので仕方ない。
夜は、一緒に行った現地の請負元の人たちに御馳走しようとしてたんだけど、彼らは別件でほかの町にいっており、なかなか帰ってこない。
結局夜11時ごろに帰ってきて、それから飯を食いに行った。
土曜日、午前中また局に少し顔を出した。
トレーニングの契約は5日だけど、4日しかやってなくて、2日は移動に使われているので、その埋め合わせということで。
局のお偉いさん、トレーニング中もカオスを作り出す名人だったんだけど、その人が最後にお土産をくれた。
ウズベキスタン名物の、ウズ爺さんのお皿。
なんかとてもうれしかった。
5時間かけてタシケントへ戻った。
長い道のり。
途中でこえる峠の景色がめちゃめちゃきれい。
途中何度か寄り道をして、名産品を買ったり。
夜はサッカーを見ようと思ってスタジアムに行ったんだけど、どうやら日が違うそうで。
FIFAのサイトに書いてあったんだけどなぁ。
間違えたらしい。
そこにいた青年とちょっとおしゃべりして、また街へ戻る。
レストランでおいしい肉を食べ、先輩がおごってくれた。
さすがにもう2週間ずっとその先輩と一緒にいて、週末以外は昼夜一緒に飯食ってるので、いい加減しんどいなぁと思ってきたところ。
しかもなんか、おしゃべりな人で、かつよくわかんないことをしゃべっていたり。
けどまあ、普通にしゃべるにはきちんとした人。
二人で出張て、相手によるなぁ、ほんと。
とりあえずあと数日。
月曜に請負元からサインをもらうのが最後にして最大の使命。
1週間前に別件でごねられたばっかりだからちょっと面倒だけど、まあ業務に関しては文句言われるようなこともあるまい。