10. ナミビアの暮らし

10.1. 都市の暮らし

10.2. 田舎の暮らし その一

10.3. 田舎の暮らし その二


引用 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/namibian.html

10.1. 都市の暮らし

アフリカ各国同様にナミビアは国内に大きな格差が存在しており、貧富格差の指標であるジニ係数は世界一といわれている。

なぜか。

アパルトヘイトの名残である、と考える。1994の独立まで、ナミビアは南アフリカ共和国の一部であり、その影響でアパルトヘイト(有色人種差別政策)の傘下にあった。ドイツ・オランダ系の白人(アフリカーンス族)が南アから入植しており、彼らが暮らすための文明をそこに作った。そのかわりに、被差別人種としての黒人は奴隷のように扱われ、今でも多くの人たちは社会生活に携わりつつ、昔どおり自給自足の生活を続けている。

 

ナミビアは非常に広く(日本の2倍の面積)さらにほとんど人が住んでおらず(日本の1/60の人口)、国土のほとんどの土地が荒野となっている。その中でいくつかの国道を結ぶように、都市が点々とある。

白人は当然都市に住んでいるわけだが、都市には二つの顔がある。白人居住区と黒人居住区

 

白人居住区は、いわゆるアフリカのイメージとはまったく違う。きれいな教会、きれいな公園、街並み、ホテル。ショッピングモール、洒落たカフェや欧米風の大型スーパーマーケット。家々は世田谷や成城などの高級住宅地と趣を似せる。各国の外交官クラスが会合をする寿司バーもあるし、欧米の旅行者の集うきれいなレストランも多数存在する。

映画館もあるし、スポーツジム、カジノもある。

 

日本と同レベル、それ以上の生活をすることができる。

 





一方、黒人居住区は、スラム、とも言えるかもしれないが、ここではタウンシップと呼ばれている。首都ウイントフックのタウンシップはカタトゥーラという地域で、この言葉は「住みたくない場所」という意味を表している。


首都は二つの部分にわかれ、30分ほどで双方の場所を行き来できる。


スラム、というと、非常に危険なイメージがあるが、実はそんなこともない。当然、通常の場所よりも高い危機意識を持って行かなければならない場所だが、行ってみると拍子抜けするかもしれない。

おそらくは、ナミビアの気候のなせる業なのだと感じている。まるで誰かが描いた絵のように美しい空、立体感のある雲、カラッと乾いた空気、さんさんと照る太陽。涼しい木陰ではベンチでビールを飲む姿があり、子供ははだしで走り回っている。


もちろん、貧富の差を感じることも強くある。

白人居住区では建設会社(たいてい中国)が工事をしているとこを見かけることも多々あるのだが、毎朝黒人がトラックの荷台に2,30人積み込まれてやってくる。そして昼休みにはN$1のパンを買い、日が暮れるまで働く。

その隣をチラッと見ると、カフェで日がな一日おしゃべりに興じる白人たち。


こういった格差を知る貧困層が、どう感じ、何をするのか。

都市部での治安の悪化、犯罪の増大というのは、当然の帰結かもしれない。






10.2. 田舎の暮らし その一

アフリカ、といえば、麦わらの家に住んで、家畜を飼って、裸足で上半身裸で、獣を追って、、、、という日本人的なステレオタイプのイメージがある。

そこまでではないが、現代風とはいえない、伝統的な暮らしをしている人たちも、当然いる。

 

いくつか、そういった場所を訪れた。

 

初めて行ったのは、北部、アンゴラとの国境に近い町、ルアカナ。同期のカズの任地であったので、遊びに行った。カズの学校の用務員さんのフランスさんのお宅が、伝統的なお宅だという。カタログにも載るようなそんなおうちだと。


 

ほんとに三匹の子豚に出てくるようなおうち。藁葺きの、木で組んだ、壁は土と牛糞かな。こういう伝統的なスタイルの家をハットというらしい。敷地内が少しずつ仕切ってあって、いくつかのハットが建っている。ハットごとが、日本でいう部屋の扱いになっている。離れの集合体、というか。

フランスさんの家族は、おばあちゃん、奥さん、子供が3人、だったかな。奥さんは他にもいっぱいいるみたいだけど。




ナミビアだけでなく、アフリカ、というか農村地帯、かな。共通した話として、お客さんが来たときには、自宅の家畜をつぶしてもてなす習慣がある。家畜は貨幣取得のための貴重な収入源であり、それを使ってご馳走するというのは、最大限のおもてなしなわけである。


ウシやヤギはいなかったので、このときは、鳥。

まず鳥のいる小屋の柵を開け放った。

子供たちと一緒に鳥を追い掛け回す。フランスさん宅の敷地すべてが鬼ごっこの範囲になる。

走り続けると、鳥も疲れてくるため、最後にガッと、捕まえた。


鳥を絞める方法はいくつかある。俺は派遣前訓練で、鳥解体講座を受講したのだが、そのときにはクビをナイフで切る、という方式だった。他の方法だと、クビの骨をボキっと折る、というのもあるらしい。ウシを絞める場合は、ハンマーで頭を殴りつける、撲殺というのもある。

欧米だと、動物愛護の精神かなにかで、電気ショックを与えて、彼らに痛みを与えなくしてから、同様のことをする、という話もある。というか、それが法律で決められてるとかなんとか。

動物愛護なのか、その残酷さを受け入れられない自分たちの精神に対する過保護なのか、その辺はそれぞれの価値観にゆだねられる部分である。


余計な痛みを与えないように、というのは同意するが、食べるからには、殺す必要がある。殺すには、痛がる姿を受け入れる必要がある。そこまでやってこそ、殺した相手が自分の血肉となり、彼らを自分たちの一部として生かしていくことになるのだろう、と思っている。

この世界は、あらゆる意味で、見るべきことを隠して生きているきらいがある。


と、話が逸れたが、このときの鳥の絞め方は、原始的というか、無邪気というか、俺ら第三者が偉そうにワーワー言っている作られた倫理観のようなものをすべて吹きとばしてくれた。


捕まえた鳥の首を持ってニヤニヤする子供3人。

一人の子の手には、どう見ても鈍そうなナタ。

鳥がバタバタともがいているのをおさえつけ、首をめがけて、バンッバンッとナタを振り下ろす。

もがき続ける鳥。笑いながらナタを打ちつけ続ける子供。


ホラーだった。


痛みがどうとか、命がどうとか、そんなことを言ってるのは、やはり、文明側の人間なのか。

実際に鳥を殺して食べる人たちは、ただ、殺しているだけ。

食べるからには殺す。

方法なんて関係ない。


鳥は美味しかった。




フランスさんの家から少し移動し、ヒンバ族の村へ。ナミビアの観光資源ともいえる、ヒンバ族。赤い土を体中に

塗り、ナミブ砂漠に対するリスペクトを示している、裸族。世界一美しい部族、とも言われており、確かに、顔立ちは際立って美しかった。

 

ヒンバ族は基本的には自給自足の生活をしているのだが、やはり文明化が混ざり合っており、携帯電話を持っていたりもするし、学校に行くときは制服を着ているそうだ。

首都の中心的な場所に、出稼ぎに来ているヒンバ族もいるのだが、彼らがファストファッションの店で服を探していた、という話はなんともシュールである。

 

そんな北部での経験。



10.2. 田舎の暮らし その二

2回目は北西部コリハスにて。ナミビアに研究にきている京大の学生のところを訪ねた。

京都大学にはアジアアフリカ研究科という大学院の部門があり、そこの学生でナミビアを対象に研究をしている人たちがいた。

農業を対象にして、昆虫食の論文を書いてる人や、蟻塚の組成を調べて建築の温度調整に生かせないか、という人、ヤギの食性を研究している人、など。

 

彼らは皆、完全にローカルの暮らしに同居しており、そのうちの一人、T君のところに、泊まりに行った。文化人類学者というのはそういうものらしいのだが。


 

村に行くと、村というか、ダマラの一家族だけが住んでいる場所。周辺は農場に囲まれている。東京ドーム何個分、とか、そういう範囲を離れた場所に、何家族かが点々としている。

 

T君は、初めてここを訪れたときには、テントで暮らしていたそうだが、少しずつ少しずつ、土と牛糞を駆使して、自分の家を作ったそうな。私はテントを持っていって、このときはテントで寝た。

 

家族の家もあり、挨拶に入って、まず最初に驚いたのが、テレビ。

テレビがついていて、冷蔵庫もあった。

どうしているのかと思ったら、外にはソーラーパネル。最近ソーラーパネルが導入されたため、電気が使えるようになったらしい。エネルギー革命だ。

 

まずはお茶をいただいた。自宅の表に台所というか、いくつかの炭場があり、それを囲んでいすがある。屋根というには言いすぎな茅葺の屋根が、申し訳ない程度に乗っている。

 

そしてT君の研究、ヤギの食性、ということで、山を歩いて回った。正直言って、何をどう調べているのかはよくわからないのだが、毎日ヤギと一緒に散歩して、どう動いているか、何を食べているか、を観察しているらしい。

 

そのあと、家畜のヤギ小屋から、一頭を捕まえ、解体した。捕まったヤギは、これから何が起きるのかを予測できているようで、メーーーーーと、子供のような泣き声でなく。T君が慣れた手つきで、ビクトリノックスをヤギの首に突き立てる。断末魔の叫び。ヤギの鳴き声は、人間の赤ちゃんの声にちょっと似ており、非常に怖い気持ちにさせられる。

ヤギを解体しながら、睾丸や内臓など、残らず食べる。

食べる、のはいいのだが、焼き方がまた衝撃。炭火焼きなのだが、網を使うでもなく、肉を炭の上に直接おいて、焼いていた。

ヤギ殺し動画はここにあります。

外国人から「地獄の炎に焼かれて死ね」というコメントを頂く程度の危険な動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=2FJ1EUvPFBI




それからロバ車に乗って、周辺をドライブ。T君によると、ロバ車の危険度はかなりのもので、転倒して背骨を折った人がいるとかいないとか。がんがん揺れながら、周辺の家を回る。なじみのT君の顔見せである。別のところでもヤギをつぶす。そこの家族は今日親戚が集うらしく、そのお祝いだとか。ヤギをつぶしてお祝いする、という、そのお祝い感、祭り感がワクワク。


帰って、家族たちとヤギとポリッジを食べながら、夜がふけていった。

現地語であるダマラだけをしゃべる家族たちと、俺はしゃべれるでもしゃべれないでもない英語をしゃべりながら、火を囲んで夜を過ごした。


日が暮れれば暗くなる。暗くなれば寝る。

朝起きると、また台所で火を起こし、朝ごはんになる。

台所の火が中心の暮らし。暖かい紅茶をいただく。


言い古された表現だけど、

こういう生活が失われる過程を、発展と呼ぶのだろう。


2年間のナミビア生活、赴任前に俺が望んでいたのは、こういう生活だった。

火をおこしてご飯を作り、日が暮れれば暗くなり、暗くなれば寝る。明るくなると目が覚めて、また火をおこしてご飯を作る。


ステレオタイプというか、偏った言い方だけど、これが現地の人と暮らす、ということだと思ったし、たった一晩これをしたところで何も見えないのだけど。

100じゃなくても、0よりは1がいい。


ここに来られて本当に良かった。


宝物の記憶。