8.1. まさかの円形脱毛症
8.2. アフリカでの手術
8.3. 術後のサプライズ
いま、私の頭には大きな傷跡がある。カタカナの「ト」のような形の、直径3センチくらいの傷跡。ちょうど第一回のサッカーキャラバン前後、2008年6月あたりから10月ごろまで、いろいろなことが起こった。
人生初の手術はナミビアだった。
はじまりは、同居人のしゃー君。
「あれ、はげてるよ!」
の一言。
自分ではまったく見えないので、ぜんぜん気にならず。ただ、なんとなく、最近よく毛が抜けているなぁという、漠然とした感覚。
10円ハゲだ、という認識をして、10円というか、500円くらいのサイズ。
ネットで調べてみると、だいたい3ヶ月くらい前に強いストレスを感じることがあったときに、発生しやすい、とのこと。3ヶ月前といえば、思い当たる。新年度が始まって少したって、ちょうど授業が本格的になって、やられ始めたころ。円形脱毛症ってよく話には聞いていたけど、こんなふうにできるんだなぁと、衝撃を受けた。
ハゲたっていう事に関しては、正直なんとも思わなかった。もともと坊主だし、見た目には特に問題は無かった。しかし、ハゲるほどにストレスを感じていたのかと思うと、強いショックを受けた。
アフリカンカップ終わるまでは、ひとまず放置。
そして、首都に向かった。
ナミビアで病院へ。病院の予約はJICAの事務スタッフに任せた。ムンダさん。事務所の受付嬢であり、われわれナミビア協力隊員のお母さん的な雰囲気を持つ人。
最初に行った病院は白人のおばちゃん女医。
確かにハゲているけど、そこが腫れている。これはメンタルとはちょっと違った原因があるのではないか、というのが統一された意見。
問診から、触診。触診されていると思ったのも束の間、突然、頭にチクっという痛みが。。。
注射をさされたようだ。が、何かを入れられたわけではなく、中身を抜いたようだ。
ひとまず1週間待って、確認、となった。
首都に待機。
国によって、JICAが協力隊員の首都滞在用施設として、首都に宿を持っていることがある。ドミトリー形式の、数十人が泊まれるユースホステルのような施設。
ドミの存在には良し悪しある。国内の協力隊員が集まってそこで会合を開きやすい、という利点や、周辺国の隊員が旅行や研修で訪れてきたときに、安全を担保された宿となる、ということもある。逆に、活動がうまくいかないで首都でドミに引きこもりになる、ドミ隊員、という悪しき習慣もある。ナミビアには、それがないので、首都にいるときは基本的にはゲストハウスに宿泊することになる。初代調整員の強力な政治力のおかげで、ドミが無い代わりに、首都滞在費として補助がでるような制度ができて、それを利用させてもらうこともあった。
このときは、首都滞在費、を使うことになる。
隊員の医療費としてのお金も予算には組み込まれているそうだが、健康管理員という名の医療担当者は南アで兼務しており、彼女の承認をとらないといけないため、滞在中の費用や移動費は自費という扱いになった。あまりそこは気にはしていないが、予想外に長引いたため、もう少し考えるべきだったか、とも思った。
その後、再診となったが、結局わからず。膿ではない、とのこと。ここは内科、次は外科を紹介された。
予約をとって、それから数日後、そこに行った。今度はナイジェリア人の黒人外科医。
ナミビアには黒人医師はいない、という話ではあったが、外国人医師は存在するようだ。
「切ってみよう」
というのがこの医師の見解。
私も、あまり深く考えていなかったので、やすやすオッケーして、切開手術日の調整となった。
JICA事務所に戻り、報告。医療担当者にも一応話をしようということになり、南アに電話連絡。当然その前に報告はされているのだが、手術となると話が違うようだ。
健康管理員、デイビスさんである。もともと日本人なのだが、外国人と結婚し、デイビスさんになった。ちゃきちゃきの関西系なおばちゃん。
「手術とか勝手に判断しちゃだめだよ。そういうのは一度JICA通して」
とのこと。
え。
ここまで放置しといて、いきなりストップがかかった。いわく、一度東京のJICAに確認とってもらって、そこでゴーが出ないと、さすがに手術は問題あり、とのこと。
面倒くさいなと思いながらも、手術費用はJICAに支払ってもらうということもあり、デイビスにゆだねることになった。
まずは、MRIなりなんなり、判別する写真がほしい、とのこと。
ナイジェリア人医師にもろもろ話をする。東京がこういうものを欲しがっているから、なんとかしてくれ、と。ムンダさんにその辺は全部やってもらう。
ナイジェリア人医師からしたら、自分の判断をまったく信用してもらっていない、ということになる。当然怒る。最終的にはその人はこの件からは手を引いてしまった。それはそうだろう。こんな患者の相手をしたら、手術のあとももしかしたら面倒なことになるかもしれない。
またゼロからのスタート。
というか、ここはアフリカ。MRI撮って来いとか、そういう要求自体が無理のような気がする。もう日本に一回帰るのもありかな、とも思った。しかし調整員いわく、病気で一時帰国すると、再発可能性がなくなるまでは戻ってこられない可能性がある、と。それは面倒だ。それに自分の気持ちが維持できるかどうかという不安もあった。帰国して日本を堪能してしまったら、もう戻りたくなくなるかもしれない。
そして、、、、アフリカで手術とか、、最高のネタになる、、、という思いがおそらく一番大きかった。
ナミビアは想像以上に進んでおり、首都にある総合病院で、MRIを撮ることになった。MRIを撮るなんて人生初。それがナミビア。
しかし、ナイジェリア人医師が言っていたけど、MRIなんかじゃ何もわからないよ、と。脳に何かできているのならともかく、頭蓋骨よりも上にできているのに、何を見るつもりなのか、と。
完成したMRIを東京のJICAに送る。何もわからず。
そしてエコーを撮ることに。脂肪腫があるというのは見えたようで。
JICAからようやくゴーサインが出た。
首都に1週間滞在したあとに一度北部に戻り、MRIのために再度上京し、北部に戻り、エコーのために上京し、戻り、、、を繰り返した。
毎回半日かけて片道の移動となる。
体力的にも、精神的にも、思った以上に厳しい日々になった。
このころ、ちょっと精神的にも厄介な状態になっており、何度も仕事を休んでしまった。子供と同じ、学校に行きたくない病である。
小学校のころから、何かというとおなかが痛いと言って登校拒否を繰り返した私であるが、逆に先生側になっても、登校拒否をしていた。
いったい何をやっているのか。
そしてついに手術となった。
前日には、健康管理員のデイビスが南アから来てくれるとかこないとかいいながら、結局顔を見せることはなく。さらに、調整員からは、最後の最後に、
「怖くないの?日本帰ってもいいんだけど」
といわれたが、今更すぎた。
手術前の医師からの説明とかも特になく。
こちらの白人医師も、ナイジェリア人医師と同様、
「切ればわかる」
というスタンス。
手術室に連れて行かれ、ベッドに寝かされマスクをされた。何かがでてきて、、、、、、
気づいたら、手術室の外だった。
目が覚めると、ちょうど外にでたばかりのようで、寝ぼけ眼のなか、医師が
「1週間後の抜糸の予約をとっておけ」
と言ったのだけは記憶している。
そしてまた寝た。
どうやら全身麻酔だったようだ。
後日(数年後)、医師である友人に聞いたところ、呼吸器から入れる全身麻酔は子供用だとのこと。
そして、なぜか足の付け根の毛が無かった。
剃られていた。
何が起こっているのか、何をされたのか。
頭の脂肪を取られるだけではなかったのか、、、、
これも後日、医師である友人に聞いたところ、全身麻酔なので、尿瓶をつけるためのテープを張るためだ、とのこと。
安心した。のか。
手術が終わり、個室に連れて行かれた。
個室は天井にテレビがぶら下がっており、衛星放送が見られるようになっていたので、サッカーチャンネルをとりあえずつけておいた。
そしてまた寝た。
次に目が覚めると、看護婦さんがやってきて、何か食べるか?と聞かれたので、うなずいた。
コーヒーとサンドイッチを持ってきてくれた。
食べて、また寝た。
宿泊ではなく、日帰り手術だったので、しばらくして、病院を後にし、JICAの事務所へ。
とりあえず1週間ほど首都に滞在することになった。術後だし、毎日頭のガーゼを取り替える必要があるため、長時間の移動は禁物、という判断。
ちなみにタクシーに乗るときに頭をぶつけて死ぬほど痛かった記憶がある。
寝ぼけながら聞いた、抜糸の予約について、ムンダさんに予約をお願いした。
予約をしようとすると、電話の向こうの秘書が
「その糸は溶ける糸だから、抜糸は不要です」
とのこと。
医師が予約しろって言ってるのに、それはおかしいだろうと思って、2度確認してもらったが、やはりそういう返答だった。
術後経過を見てもらうこともなく、これで手術は終了となった。
わけがない。
1週間の首都滞在のあと、北部に戻った。
毎日デジカメで頭の写真を撮って、状況を確認する日々が続いた。1週間たったらシャワー浴びてもいいということだったので、浴びていた。
2週間たっても、傷口が治っているようには見えないし、糸が溶ける気配もない。
その写真、たっぷり残ってるのだけど、さすがにグロいので載せません。
手術用の溶ける糸、というのをインターネットで調べてみた。内臓の縫合や、局部など、抜糸をしにくい場所の場合には使われるが、溶けるまでには3ヶ月ほど要する。頭部などの広い場所には使われない。
などと書いてあった。
おかしい。
3週間たって、どうにも不安が消えないので、再度首都へ行き、病院へ。
医師の部屋に入ると、まず頭の包帯をはがされ、ガーゼをとられた。
(以下 H:ヒデ、D:ドクター)
H:まだ血がでるんだけど
D:勝手にくっつくから大丈夫
D:なんで糸抜いてないの?
H:え?
H:いや、溶けるから抜かなくていいって
D:溶ける?
H:手術の直後に,抜糸のアポとろうとしたんだけど,あんたんとこの秘書が『これは溶けるから抜糸は要らない』って言ったんさ
D:溶けるわけないじゃん
H:けど彼女がさ!!
D:彼女は何も知らないよ。医者は俺だ
爆笑。
笑う以外なにもなかった。怒るところなんだろうけど、本当に、ものすごいオチだなぁ、と。
最後の"I am a doctor"って言いながらニヤってしたのとか、一生忘れられない。
抜糸はセクションが別だったので、移動。3週間もたっているせいで、皮膚がくっつきつつあるので、痛すぎた。ギャーギャー騒いでいたら、看護婦さんに
「うるさい、まじめにしなさい」
と怒られた。
ひどく真面目なのに。
この1週間後にもう一度経過観察して、この医師とは最後になったのだけど、結局このハゲは何が原因だったのか、なんだったのか、と聞いてみたのだけど、
「癌じゃない。大丈夫だ。」
としか答えてくれなかった。
こちらの英語があまりうまくないことを見透かされたんだろうな、と、情けない気持ちになった。
なぜか二度に分けられた抜糸を終えた。
これがいまだに残っている傷跡の話。
日本の整形外科で手術すれば、一度切って縫い直して、少しは小さくすることもできるらしい。
家族にも、始めのころは心配されていた。そのままにするのか、と。
自分からすると、まったく目に入らないし、時々ぶつけると異常に痛いのは確かだが、あえてまた切る必要も無いだろうと思っている。
ある意味では、2年間の勲章ともいえるし、このドクターとの馬鹿話のきっかけでもある。
時々、この頭の傷について聞かれることがある。
アフリカで、、、ライオンにかまれて、、、、
と、とりあえず答えることにしている。
そういうと、信用する人が結構多いので、アフリカのイメージってすごいな、と思う。