6. にわか教師、始めました

6.1. 1日6コマの授業開始

6.2. ストレスフル

6.3. ナミビア教育事情


6.1. 1日6コマの授業開始

新年を向かえ、1月から2008年の教育年度が始まった。


担当授業が決まるまでにもひと悶着あった。

各教師の担当教科、年次、コマ数などを入力し、専用のツールで各教師・各クラスの時間割を作るのだが、毎回何かしらのエラーが出てしまう。最終的には確認項目付きのエクセルを作成し、手作業で作成することとなった。

ただし、まだ着任していないポジションがあったり、着任予定の先生が入ってこなかったりしていたため、そこを埋めることも必要になった。いざ決まっても、各先生から「それは私の担当教科じゃない」と苦情が入る。校長先生からの情報をもとに作成しているのだが、校長の思い込みによる割り当ても多くあったようだ。


ナミビアの学校制度は、7-3-2制。Primary SchoolがGrade1-7、Junior SecondaryがGrade8-10、Senior SecondaryがGrade11-12となっており、各学年の終わりに年度末試験が行われ、そこでの合格点基準は国によって決められており、留年する生徒もちらほら。またG10、12の年度末には国家試験があり、その結果を持って卒業が決まる。私の赴任したEkulo Senior Secondary SchoolはG8-12まであった。


私が担当することになったのは、G8の数学を2クラス、G9の理科を計2クラス、G11の理科を1クラス、G8のPCを1クラス、G8の体育を2クラス、といったところである。国家試験に関わる学年については、前年から担当している現地の先生が継続実施し、私はほかの学年に割り当てられた。

海外協力隊の派遣で問題になることのひとつに、要請内容と実際の業務内容が異なる、というのがある。教師として学校に行ったら、教師数が飽和していた、ということもよくある。私の場合、物理の教師として採用されたものの、結果はこのとおり、数学、理科、PC、体育と受け持つこととなった。便利屋である。数学はまだいい、PCもおそらく学校の誰よりも私が詳しいだろう、PCは暇な先生があてがわれることになっている。もっとも厳しいと思ったのが、実は理科。Physicsではなく、Pyhical Scienceといって、物理も化学もどちらも含まれていた。物理に関しては得意教科だが、化学は嫌いな教科だった。困った。なぜか地学や生物はそれぞれの教科として成立しているのに。

聞いてない、と文句を言えばもしかしたら授業を外れることもできたのかもしれないが、そこは隊員それぞれの考え方によることなのだと思う。私の場合、授業がそれほどうまくできないだろうという不安もあり、まずはたくさんこなすこと、質より量で勝負したい、と思っていた。


結果、毎日6コマの授業を担当、しかも重複はほとんどなかったため、授業後には毎日3,4つの授業案を考える、という日々。


日本でサラリーマンをやっていたころよりも、はるかに忙しい毎日が始まった。





6.2. ストレスフル

毎日の授業は困難を極めた。当然だが、学年やクラスによって、やりやすさには大きな隔たりがあった。


G8の2クラス。この2クラスはどちらも愛すべきクラスになった。数学を教えており、どちらのクラスにも優秀な生徒が多かった。クラスコントロールは、正直いってうまくできなかったものの、生徒は自分の授業を好きでいてくれていたと思う。学業が上達していたかどうか、というのはまったく別の問題だが。。。


この学校の不思議なシステムとして、教師が固定された教室におり、そこに生徒が移動していく、という形式をとっている。時折、生徒たちの居場所がなくなってしまう、ということが発生する。そんなときによく私がいた理科室に生徒たちが入ってきて、自習していた。自習といっても騒いでばかりいるので、私が特別授業を行ったりもしたのだが、たいていは騒がしくなって終わりだった。


そういえば私はG8のひとつのクラスの担任にも割り当てられたのだが、なぜかその教室はほかの先生が使っていた。あれは一体なんでだったのか、覚えてないが。。

理科室は居心地がよくて好きだった。


G9の理科の2クラス。この2クラスはひどかった。まず授業が難しい。物理にしろ化学にしろ自分でも覚えるだけで過ごしてきたことが多く、根本的な原理を理解できているかといえば、物理の一部に限る。それを授業で教えようというのだから、それはそれは難しかった。たとえば化学式の2H2+O2=2H2Oというのを教えるときに、なんで右下に2がついたりつかなかったりするのか、なんで左に2が就いたりすかなかったりするのか、となる。手の数がどう、とか、金属と非金属で、とか、原理的なことを覚えてはいるのだが、その原理がなぜなのか、というところをつっこんでくる。

うまくごまかす力がそこには必要だったのだが、まじめに対応してしまい、困難を極めた。


なんどか大声をあげたこともあるし、うるさかった生徒を外につまみ出したこともある。

はっきりいってこの2クラスにいい思い出はない。


が、このG9の生徒とは、あとあとでとっても大きな思い出を作ることになる。
授業がうまくいかなくとも。


G11のクラス。このクラスは良いクラスだった。同居人のしゃー君がクラス担任だったということもあるのだろう。

しかもG11といえばもう高校を卒業も近い大人である。

この学校自体が、国内では比較的教育水準の高い生徒の集まる学校であったこともあり、まじめに授業を受けてくれた。

理科、ではあったが、G9に教えているよりもよっぽどわかってもらえていた。


この学年には、ちょうど重心の単元もあった。派遣前訓練で最後にやった授業。そのネタをそのまま用い、面白く授業することができた。





それにしても授業をするのは本当に難しい。

相手の理解のレベルは一定ではないし、こちらの話をどう感じているのかセンサリングすることが非常に難しい。しかも基本的に黙って静かにいられない。騒ぎ出す。しまいには授業中に歩き出す。

 

カリキュラム的には授業は朝7時から13時まであって、昼以降はフリー。ただし午後は午後で学校にいる必要がある、という状況。

宿題をだせば翌日までにはその丸付け・名簿整理をしなければならないため、仕事が増える。

毎日午前中は必死に授業をこなし、午後は日付が変わるまでひたすら準備にあけくれた。

 

授業の準備というのも大変な作業。授業をするために、常に前日にその授業の準備をする。先生には飯を食う以外に休む時間なんてもないんじゃないか、と思ってしまうほど。週末も、金曜の授業が終わってから土曜が終わるまでの時間は気を抜いていたが、日曜は授業準備におわれるのであった。

日本の先生たちはこれに加えて生活指導やら部活やら、、、、ほんとうに大変なしごとだな、と実感。

なかなか慣れることもなく、ちょっと手を抜いて教科書を追うだけの授業をしようとすると必ずしっぺ返しがくる。

 

月に1度くらいは、単元テストをする。テストを作成するのは自分だが、テストの日、テストの解答をする日は、授業をしなくていいので、非常に楽だった。もちろん、テストの採点をしなければいけないのではあるが。

 

苦しくて仕方の無い毎日だったが、ぎりぎりで続けていられたのは、月並みだが、それもまた生徒のおかげだったように思う。

 

ある日、授業中に数学の問題を解かせていたとき。

各自が終わると手を上げて、それを私がチェックしにいく、ということをしていたのだが、そのときに黒板に落書きを始めた子がいた。

そのクラスでは1,2を争う優秀な子。

おいおい、と思ったのだが。

 

そこには


 We love you sir. You are the best math teacher I've ever seen.


と書かれていた。

 

 

確かその日は別の授業でひどく落ち込んでいたときだったので、この一言には大きく救われた。

 

何か落ち込んだときには、必ずこういうことがあった。

 

こういう演出をして相手をコントロールしていくのは先生側であるべきなのだが。子供たちから与えられる、一つ一つの出来事で、どうにか気持ちを取り戻し、毎日を過ごしていた。



6.3. ナミビア教育事情

授業を実施するにあたっては、学習指導要領(シラバス)にのっとって実施する。日本でもこれは同様である。

同じ学年なのに先生ごとに違った授業の進行をしないように、という指針でもある。


ナミビアは、基本的にはイギリスのシラバスに沿ったものを使っていると言われている。教科書も同様。そのため、G12あたりになると、微分・積分や行列、ベクトル、理科なら量子論などといった概念も当然登場することになる。四則演算や小数・分数の計算もまともにできない生徒が、微分積分を解いているのだから、それは無茶苦茶な構造である。根本原理ではなく、問題の解き方のテクニックの習得に秀でた生徒が上に行くことになる。日本もそれは同様なのかもしれないが、もっと基礎的な部分で何かが違っているように思う。


学年ごとの内容についても、たとえばA,B,C,Dといった単元があるとすると、日本の場合は、1年生でAを、2年生でBを、といった具合に進んでいくように思うが、ナミビアの場合はA1,B1を1年生で、A1-2,B1-2,C1を2年生で、A1-3,B1-3,C1-2,D1を3年生で、といった具合に、毎年同じ単元が繰り返され、しかも結局すべて理解できていないため、毎年同じ内容を教えることになる。しかも、前年度に習ったことに関して、当然クラスの中で理解の差があるため、生徒間の差は年々大きくなることになる。


毎年復習ができる、という利点は当然あるのだが、予復習は自分でやるもの、という日本式の感覚からすると、ずいぶんと非効率な方法をとっているようにも思えたものだ。


ちなみに私が授業をしているわけなので、授業は英語である。ナミビアの公用語は英語である。しかし、実際に生徒が日常生活で使っている言葉はoshiwamboとかOtjiherero、Aflicaans、Damaraなどといった、各部族語を使っている。英語のレベルは日本人よりは高いものの、ネィティブとして英語を使っているわけではない。あくまでPrimary schoolで勉強したものである。


第二言語としての英語で数学や理科の授業を受ける。理解しろ、というほうが無理な話である。日本で同様のことが起こったら、根を上げる生徒は多数でてくるだろう。科学的な理解力よりも、英語力によってある程度の成績が左右されることになる。


そういえば、私が大学院時代に英語で授業をする先生がいた。ずいぶんと英語至上主義な先生で、大学院入試の英語をTOEICに変えてしまったほどである。彼の材料工学の授業が、英語であった。質疑応答も英語。頭の悪い私にとって、日本語で受けてもまったく理解できない材料工学であったが、英語で授業をすることで、授業を聞く気すらも失ってしまったことを良く覚えている。それでもテストを受けて単位が取れるから不思議なものである。


ナミビアでの授業言語問題で、ひとつ、とても印象的だった例がある。

実際に数学の授業中に起こったことで、不覚にも笑ってしまった。


Question

Expand the following.

1) 5(x+1)=


という問題。

Expandは、教科書中にも「式を展開する」、という意味で使われており、


 = 5*X+5*1

 =5x+5


が正解。


だが、Expandの英語としての本来の意味は「広げる、拡張する」であるわけで、なんと、私の生徒が出した答えがこれ。


1) 5(x+1)= 5    (     x    +     1     )


広げた。

文字通り。


丸をつけたいが付けるわけにもいかない、という類の回答。

問題作成上のミス、といえばそうなのかもしれない。

数学上の間違いではなく、言語上の間違い、ということか。

むしろ間違いなのかどうなのか。。


もしかしたら、日本でも、問題の意味のわかっていない人が読んだら、日本語の「展開しろ」は他の意味になっているかもしれない。周りの人に見せたり、何か情報展開的な手法を考えてしまうのかも。

この問題のように、英語で「Expand」、といわれて式の展開を思いつく日本人もあまりいないだろう。


日本語を日常言語とし、日本語を公用語とし、日本語で勉強をしてきた自分がどれだけ幸せか、また逆に、西欧の植民地化のせいで文化的発展を阻害されたことにより、教育上の貧困を抱えてしまったことの弊害を強く感じる瞬間であった。


このような複雑なシステムの中、日本人に英語で数学や理科を教わるナミビア人の気持ちたるや、いかなるものなのか。

もう少し聞いてみればよかったと思う。


ただし、第二言語どうし、という長所もあった。

アメリカ人のボランティアがやってきて、PCの授業をしていた。彼女がきたときの生徒は、白人が来た!という好奇心とともに、英語がまったくわからない、という反応を伝えてきた。

お互いに第二言語だからこそ、英語が伝わりやすいという現実もあるわけだ。


ちなみにこの学校、北部のOvamboと呼ばれる部族で構成されていた。実際にはもっと細かい分類があるのだが、大まかに見れば単一部族単一言語の学校であった。

そのため、部族間、というくくりは無いし、休み時間はみんな現地語で話していたし、先生方も、伝わりにくい内容は現地語で教えていた。